近年、環境・社会・ガバナンスを意識した経営を行うべきであるというESGの潮流が強まっています。
その中のG(ガバナンス)において大きな比重を占めるのが役員報酬です。役員報酬には役員の行動インセンティブを作る役割がありますが、他国と比較した際の日本企業の役員報酬設計には課題が多く存在します。
この記事では役員報酬が果たすべき役割、役員報酬の構成要素、役員報酬の決定手順から日本企業の課題まで見ていきます。
本記事の参考文献・出所 デロイトトーマツコンサルティング 村中靖・淺井優『役員報酬・指名戦略』日本経済新聞出版社(2019)
役員報酬が果たすべき役割
役員報酬には課題が山積しているとお伝えしましたが、そもそも役員報酬の設計がなぜ重要とされているのでしょうか?役員報酬の役割とは一体なんなのでしょうか。
その役割は大きく2つに分かれています。以下でそれぞれ見ていきましょう。
役割1:役員のコミットインセンティブの設計
役員報酬の大きな役割の1つが、役員のコミットインセンティブの設計です。
役員報酬の決定方法には様々ありますが、一般的には一部の報酬を企業の業績や売上を指標として決定することが多いです。その際の指標を決めることは、役員のコミットインセンティブをコントロールすることにつながるため、役員報酬は企業成長のための役員のコントロールに重要な役割を果たします。
例として自社の売り上げを業績連動型報酬の決定要因に設定した場合、役員は報酬の最大化のために売上向上のために役員がコミットするようになり、それが業績向上につながります。
またCO2排出量の削減や離職率の低下といった売上以外の項目も指標として設定することができるため、指標設定によっては企業業績に直結しない領域に従事させることも可能です。
役割2:役員の引き留め
大きく2つ目の役割が、役員の引き留めです。
役員報酬設計にはその価格決定方法に加え評価期間や付与タイミングも含まれており、評価開始から一定期間経過後に給与や株式が付与される設計方法も存在します。
付与までの期間が長いような設計方法であれば、役員が指定期間の間当該企業に勤務し続けるモチベーションに繋がるため、重役の役員の引き留めに効果を発揮します。
役割3:利害関係の共有
役員報酬には役員と他のステークホルダーの利害を共有させ、組織としての方向性を統一する役割もあります。
それが行える理由は、業績に連動した役員報酬の支払い方法として株式を付与する株式報酬が主流だからです。
役員報酬を通して役員に株式を付与できれば自然と株主との利害関係の一致が進むため、意思決定の方向性に乖離が生まれにくくなり、円滑な企業経営につながります。
役員報酬の構成要素とその役割
役員報酬の設計方法についての説明の前に、まずは役員報酬を構成する要素について理解する必要があります。
役員報酬は、大きく定額の固定報酬と業績や勤務条件により変動する変動報酬に分かれています。
固定報酬は役員のベース報酬となるため最低水準を決めるものとなります。一方で変動報酬は業績など条件に応じて報酬額が変動するため、役員の行動インセンティブの強化や引き止めのために組み込まれます。
そして変動報酬はさらに、年度毎の業績などで決定する短期インセンティブと、3~5年程度の長期的な目標の達成度合いで決まる長期インセンティブの2種類から構成されています。
短期インセンティブは細かい期間での業績をもとに変動します。主に現金が付与されることが多く、いわゆる賞与、ボーナスは短期インセンティブに当たります。
一方で長期インセンティブは3~5年後の数値を指標に報酬額が決定するため、長期的な成長を見据えた意思決定を役員に促すことを目的として設計されます。長期インセンティブの形は様々ですが、主に株式が付与されることが多いです。
役員報酬の設計方法【全体】
それではここから、役員報酬の具体的な設計方法や手順について見ていきます。
大まかな流れとしては、以下の3つを順に行っていく形となります。
- 役員報酬方針の策定
- 報酬水準の設定
- 具体的な報酬設計・報酬比率の設計
手順1:役員報酬方針の策定
まず最初に、役員報酬方針の策定を行います。
役員報酬は経営幹部のコミットを担保する重要要素のため、企業の経営理念や経営戦略を踏まえて決定する必要があります。
企業の経営理念を反映させる例としては、以下のようなものが考えられます。
- 信賞必罰の風土を企業理念とするのであれば変動報酬を大きく
- 個人の業績を重視するのであればインセンティブ報酬の決定指標に個人業績を盛り込む
また、経営戦略の反映とは、企業戦略の成功率の最大化を目指した役員報酬の設計をすることです。例としては、以下のような設計が挙げられます。
- デジタル化推進のためDXに精通した役員の登用が必要なため、報酬水準をデジタル業界に揃える
- 業界の変革スピードが激しく、腰を据えた中長期的経営が重要なため長期インセンティブ強化
このように、企業の今後の戦略をも加味してインセンティブ設計を行う必要があります。
手順2:報酬水準の決定
役員報酬方針が策定されたのちには、報酬水準、すなわち報酬総額を決定します。
報酬総額の水準は、主に登用したいの役員の人材マーケットを適切に解釈し、自社にとって最適な比較対象企業を選出することで策定するのが一般的です。
その理由は、近年外部企業や外部市場から引き抜く形での役員登用も増加しており、そのような登用を行う際には「獲得したい人材のいる業界・企業に匹敵する報酬水準を用意する必要がある」ためです。
例として、とある化学メーカーが今後注力する事業として医薬・医療事業を設定した場合、製薬メーカーから役員を登用すべきであると考えられるため、製薬メーカーの報酬水準が採用すべき報酬水準ということになります。
また、役員報酬の水準はベンチマーク企業の水準のみならず、その階級によっても変動します。以下は、役員の階級別の役員報酬の中央値の表です。
会長 | 社長 | 副社長 | 専務 | 常務 | 取締役 |
3057 | 4200 | 3270 | 2820 | 2424 | 1560 |
一律に設定するのではなく、その立場や役割範囲を考えて役職ごとに最適な報酬水準を設定することが肝要となります。
手順3:具体的な報酬設計・報酬比率の決定
役員報酬の方針と報酬水準が決定すれば、その後は要素別の具体的な報酬設計です。
「役員報酬の構成要素とその役割」で述べたように、役員報酬は固定報酬と変動報酬、変動報酬はさらに短期インセンティブと長期インセンティブに分かれています。
具体的な報酬設計においては、まずこれらの構成要素比率を決定します。固定報酬と変動報酬は、それぞれの比率を高める際にユニークなメリットがある一方で、極端な比率にするとデメリットも発生するため、適切なバランスを取ることが非常に重要です。
以下は固定報酬、変動報酬の比率を上げる際のメリット・デメリットをまとめたものです。
固定報酬 | 変動報酬 | |
メリット | 安定志向の人材を登用しやすい | 業績コミットのインセンティブが 強まる |
デメリット | 業績コミットのインセンティブが 強まらない |
役員側のリスクが高くなるため、 報酬水準を高くしないと雇用が難しい |
バランスを取る際には、会社の経営理念、戦略・ビジネスなどとの整合性を加味して決定します。主に他社をベースに考えつつ、自企業のビジネス特性を勘案して決定することが望ましいです。
手順4:報酬決定プロセスの策定
報酬の中身が決定したのちは、その決定プロセスについても客観性・透明性を担保した上での策定を行います。
内部役員の意思決定に閉じた状態で報酬額が決定するような従来のプロセスではなく、外部監査や報酬委員会による審議を挟むプロセスにすることによって公平性を担保することが望ましいです。
役員報酬の公平性の担保は、純粋に恣意的な役員報酬操作を防ぐ役割のみならず、投資家から見た際に経営の透明性が評価されて企業価値向上に繋がることも大きなメリットとなります。
役員報酬の設計方法【要素別】
ここまで述べたように、役員報酬の設計は大きく定額の基本報酬、指標に応じて変動する変動報酬に分かれており、変動報酬はさらに評価期間に応じて短期インセンティブと長期インセンティブに分かれています。
ここからは、各要素についてその決定方法を見ていきましょう。
構成要素1:固定報酬
固定報酬は先述の報酬水準の議論でおおよその報酬額を決定します。
その後は、支給体系について検討する必要があります。
支給体系については、例えば社長は1000万円と固定するように、役位に対応した一定額を支給する「シングルレート方式」と、800~1200万円のように一定の幅を持たせる「レンジ方式」の2通りがあります。
シングルレート方式では役員の役割・責任と報酬の対応が明確になるメリットがあります。一方で同役割内での差分を表すことはできないため、外部企業から役員を登用するような、報酬が自社基準と大きく変わる場合に柔軟に対応できないのが難点です。
一方のレンジ方式では報酬決定に柔軟性を持たせられるのが大きなメリットです。一方で客観性の担保のためにレンジ内での報酬額の決定方法は明文化し、一定の基準や条件を定める必要があります。
欧米では役員の報酬は毎年2.5~3%昇給されるため、対応策としてレンジ方式が多く採用されています。
構成要素2:変動報酬
固定報酬の詳細を決定した後は、変動報酬の詳細設計です。
変動報酬には短期インセンティブと長期インセンティブがあり、それぞれ目的が異なるため設計手法は異なります。それぞれ見ていきましょう。
変動報酬1:短期インセンティブ
まずは短期インセンティブの設計です。短期インセンティブは別名「賞与」とも呼ばれます。
賞与に関しても複数の設計方法がありますが、大きな検討ポイントとしては損金不算入か損金参入なスキームのどちらにするか、があります。
日本では役員の賞与を原則損金不算入として扱っているため、損金不算入型賞与として付与している企業が半数以上にも登ります。損金不算入にする場合は設計の自由度が高いため自由に報酬を設計できる点が特徴です。
一方で賞与を損金算入させる方法もあります。以下の3つの方法は損金算入可能なスキームです。
損金算入スキーム1:来季の固定報酬への反映
前期の業績と対応した賞与を12分割して、来季の固定報酬額に上乗せするスキームです。
損金算入が可能となることが大きなメリットである一方で、業績の反映に1年のラグが発生するため、退任が近い役員がいた場合や役員流動性が高い企業の場合は業績向上のインセンティブが弱まります。
損金算入スキーム2:事前確定届出給与
所定の時期に確定した支給金額や株式数を事前に税務署に届け出ることで、該当タイミングで損金算入できる形で賞与付与する方法です。1割強の企業が採用しています。
こちらも損金算入できることが大きなメリットです。一方で、役員の職務執行開始日までに賞与額が決まっている必要があり、業績予測が難しい業界の企業(実際はほとんどの業界や企業がそうであるが)にとっては額の設定が困難なのが難点です。
損金算入スキーム3:業績連動型
業績連動型の賞与であり、かつ一定要件を満たした場合には損金参入が認められる制度があります。
満たすべき条件は以下の9つになります。
- 支給する内国法人が一定の同族会社ではないこと
- 業務執行役員に対して支給されること
- 業務執行役員のすべてに対して要件を満たす業績連動給与を支給すること
- 客観的な業績指標によること
- 確定額・確定株数を限度とすること
- 報酬委員会等の適正な手続きによって行うこと
- 内容が有価証券報告書等に開示されていること
- 業績確定後、一定期間内に金銭が交付されること
- 損金経理をしていること
こちらは損金算入できる上に業績に連動させるため戦略的な設計が可能であり、さらに変動報酬の固定報酬かと異なり業績の反映時期ズレも発生しないことから、ガバナンス的観点でも強力であるかなり万能な方法です。
一方で報酬の算定式を開示する必要があるため、事実上役員に対して支払われる賞与額が公開されてしまうことがデメリットとしてあげられます。
変動報酬2:長期インセンティブ
次に、長期インセンティブの設計についてです。長期インセンティブにおいては株式報酬を付与するのが一般的です。
株式の付与であるのが他の報酬と大きく異なる点となるので、長期インセンティブには役員の業績インセンティブ強化以外にも、株主との利害関係の共有やリテンション効果、リスク回避など多くの意味を持っています。
これらの役割を果たすため、株式報酬は付与方法(株価、新株予約権か、etc)や付与タイミング(事前付与、事後付与)で多くの種類に分かれており、それぞれメリットが異なります。
株式報酬についての詳細は以下の記事をご覧ください。
日本企業の役員報酬の主な課題
日本は他国に比べて役員報酬設計が適切になされておらず、その結果として企業の成長速度にも差が生まれている場合もあります。
課題1:報酬額が低い
日本企業は欧米諸国と比べて報酬額が非常に低いことが知られています。
以下の表は各国のCEO報酬額の中央値の比較です。報酬額の特に大きい米国と比較すると、実に15倍もの差が開いています。
国 | CEO報酬額 |
米国 | 15.4億円 |
英国 | 5.2億円 |
ドイツ | 6.8億円 |
フランス | 5.3億円 |
日本 | 1.1億円 |
その理由は、取締役が内部昇格者で閉められる日本の取締役構成と、ヘッドハンティングでトップの役員のみが入れ替わる欧米の取締役構成の違いにあります。
内部昇格者で閉められる日本の役員の報酬には、従業員の給与・報酬との内部公平性がはたらくため高額にしにくく、設定額が低くなる構図となっています。
役員報酬が低く設定された結果として、他国と比べて報酬の低い日本企業への役員クラスの流入はますます下がってしまいます。
課題2:中長期を見据えたインセンティブ設計が弱い
日本の役員報酬制度の設計は、企業の中長期的な成長へのインセンティブが弱いものとなっています。その理由は、報酬の構成にあります。
下の表は、各国のCEOの報酬構成の比率を表したものです。
国名 | 固定割合 | 内、短期 インセンティブ |
内、長期 インセンティブ |
固定・変動 比率 |
短期・長期 比率 |
日本 | 58% | 26% | 16% | 58:42 | 62:38 |
米国 | 9% | 21% | 70% | 9:91 | 23:77 |
英国 | 29% | 36% | 35% | 29:71 | 51:49 |
ドイツ | 27% | 31% | 42% | 27:73 | 42:58 |
フランス | 27% | 36% | 37% | 27:73 | 49:51 |
役員報酬は定額の固定報酬と業績に応じて報酬額が決まる業績連動型報酬の2つから構成されますが、日本は固定報酬比率が6割で、米国の1割、英独仏の3割に比べて非常に高い割合となっています。
このような報酬体系の結果として、日本企業の役員は業績を向上させるインセンティブの低い状態で企業経営を行なっていると言えます。
課題の原因
役員報酬制度においてこれらの課題が発生している原因には様々なものが語られていますが、大きな原因としてあるのが役員報酬の決定方法です。
ESGの隆盛とともにガバナンスが注視される近年においても、日本の役員報酬の決定方法は代表取締役に一任される形が多いのが現状です。
役員報酬額に関して1億円以上の支給の場合の開示の義務化など、ガバナンス・コードからコントロールできている側面も一定あるものの、今だにその決定プロセスや評価方法が不透明であり、ガバナンスが発揮されているとは言い難い状況です。
役員報酬の適切な設計は企業成長につながる
役員報酬は従来の伝統的手法で恣意的に決定されることが多いものですが、適切な設計によって役員のインセンティブ設計を行うことで、企業成長速度を大きく変えることができるものです。
より角度を高めた企業成長のために、一度役員報酬の見直しをしてみてはいかがでしょうか。